原宿で出資から5年、0からのエンタメ事業のリアル。

グループウェアから音楽、映像、タレントマネジメントをして事業して思ったこと。

事業立ち上げから閉業してみて、人の人生への責任。

かなり色んなことがありました。

 

前の物件がランニング高額だったので引き払い

 

養成や映像制作などをやめて1人のタレントマネジメントに特化し、

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TVに出るようになったその子との契約を5月いっぱいに終了

 

ひとまずこの6月期で今の会社は一旦閉じる予定です(決算終了済)。

 

 

今までのざっくりの流れを振り返ってみる

今までの流れを振り返ると、以下のようになります。

 

2012年1月 前会社に手伝いから入社、1年で2番手に上り詰める

 

最初は気楽に手伝いからでしたが、代表の思いやスタンスに憧れ、

他のを辞めフルに。

立ち上げ5年の会社でしたが、法人、個人などの営業成績で、自分の強みを徹底的に分析し、過去トップになったこと、具体的な提案が達成ベースでできたことから、

契約から代表が変わるタイミングで2番手になりました

そこから代表選で、名乗りを上げた社長と半年やって行きます。

 

2013年7月 創業ー先輩社長と、友人それぞれ300、150の出資を受ける(デッド)

 

大急ぎで準備し、前会社社長の許可をもらい、

社長のノルマをこなす代わりに、僕について来たいと言う人を持ち出させてもらいました

 

あとは、私の周りから協力を仰ぎ、準備期間3ヶ月で、外交員含め13人でスタート

 

出資に関しては、別記事にて詳しく書きます。

 

その後、軽トラックをレンタルし、備品の買い出しに行ったり、お祭り騒ぎでしたね。

 

2013年10月 2番手との不和で組織崩壊ー2番手が徒党を組み、営業先など返金騒動にー10人離脱

 

この件に関しても、別記事にて。

 

一瞬、残るスタッフも引っ越しやらでオフィスにたった1人になり、1人泣いたのを覚えています。

 

2013年11月 売り上げが月間で300万上がり、立て直す

 

背水の陣で臨んだこの月。

3人で死に物狂いで営業、連携の見直し、経費の削減で、立て直しました。

この月の末、初めて3人で渋谷の焼肉に祝勝会に行きました

 

終わった、と思ったところから、ここで立て直せたことはすごく自信になり、

この時のメンバーとずっと歩むことになります

 

2013年12月 他会社と映像事業の打ち合わせからスタート

 

ここから、グループウェアを通して密になった会社さんと一緒に組み

養成事業、映像事業などを共同で拡大して行きます。

 

2014年8月 初自社制作自主映画(ショートフィルム)発表

 

今でもお付き合いのある監督さんたちと、ここでお会いします。

イマジカなど、多くの映像関連の話は、ここで学び、

自分自身、制作を通して映像制作の本などを読み漁りました

 

この時、自社でムービーにかけた金額の1/6で受賞した人がいたことから、

やり方を学びました。

 

2015年 スマートフォンゲームアプリ企画など、他社との関わりが増え拡大

 

キャラクターコンテンツのゲーム化のお話などに関わらせて頂き、新しいチャレンジを多くできました。

 

東京大学研究室と合同のプロジェクトもできたり、それで大ゴケしたり。

色々ありました。

 

2015年 部下の死

初めて部下の葬式に出ました

アメリカに留学すると言って出て行った、慕ってくれていた部下の。

交通事故で即死だったそうです。

朝聞いた時のことは忘れもしません。

これもあって、映像を企画し始めます。

 

2016年 ビジネスモデル変更で動く

 

先ほどの件辺りから正直、この先を考え出します。

東北震災と、部下の死から生死テーマの映像を作りました。(専門学校と。)

また、それを曲にも。

これは未発表なので形にしたいです。

 

この頃にはグループウェアも下火になり、これでいいのか、こんなものでいいのか、と。

TwitterでVCの方と話したことをきっかけにIT界隈に初めてつながり出します

お話を聞き、別のものをやろう、国際的にスケールするものを、と、某医療系VRの商談ついでにシリコンバレー

 

この辺は別記事にて書いたとおりです。

 

楽しかったです。ここで、方針をせっかくなら周りの人に合わせてやりたいことに絞ろう、と、予算度外視でタレントマネジメント特化

 

かねてから一度やりたかった、1人売る、を目指します

他を全て終了し、多くの方々にお会いして、自分と1名のタレント以外を他社へ。

SHOWROOMなど配信系に参入します。

 

2017年 TV出演が決まり、オフィスの撤退

 

タレントマネージに既存オフィスがいらなかったのと、単に予算がきつかったので一旦撤退。

ニコニコ動画の動画でバズがあったり、チャンネル登録者も増え、タレントフォロワーの伸びを体験しました。

この頃には、他の会社さんの業務委託も積極的に受け、予算を捻出。

某パーティで仲良くなった友人が、業務委託を探していた折、

色んな人を紹介してくれたり。

メディア、オンラインサロンの立ち上げや、開発のプロジェクトマネージなどを。

 

2018年3月 イベント企画を請け負う

 

3年ぶりに撮影や編集など、画像周りをがっつりやり、作品として売り出しました。

この辺もちょっと色々あったのですが。

記事化は後日。

2018年4月 友人社長の結婚式で過去の部下と会う

 

友人社長が私の社員を引き続き雇ってくれていたのですが、

1人は番組作家、1人は起業

過去の親友に最大の借りを作って育ててくれた彼は作家をやっていました。

すごく嬉しかった。

 

自分の彼女を紹介したり、なんだか過去の総決算みたいでした。

元気そうで、本当に嬉しかったのを覚えています。

 

2018年5月 契約終了

 

ここからはお互いやりたいことをやろう、と、契約を終了。

周りには色々心配かけましたが、この辺もそのうち記事化します。

 

2018年6月 次期ビジネスのブレストから策定

 

作りたいものが浮かんだので、ひたすらそのブレストを夜な夜な友人とLINE通話でし

パワポを作っていました。(友人がまだ在籍していたので)

出資の話もあったのですが、正直その過程で勝率にかなり疑問を持ちました。

他の信頼する友人に相談しまくりましたが、時間取らせて申し訳なかった。

 

2018年7月 ひたすら曲作り

 

考えていたビジネスの対象者が「総クリエイター」コンセプトだったので、

一旦全てのコンテンツを自作してみようと思い、

誘っていただいた企画販売用の曲を、ミックスまで全て作り込みました。

本当にこういう時間はなかったので、感謝しています。

 

2018年8月 ゲーム配信、動画製作など

 

これもさりげなく別名義でチャレンジしていました。

喋るの難しい。。

 

振り返って。

 

本当に色々なことがあった5年でした。

先輩方にも相談した日々でした。

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今は、自分が弱いなと思ったものを埋めるために、

コンテンツ作成(モデルなど)の傍ら、情報系書籍(基本情報、応用情報など)をひたすら読み込みつつ、打ち合わせなどこなしています。

 

 まとめ 一旦立ち上げたものを閉じるのって大変だよ?

 

今起業ブームですが、人の人生を本当に左右するので。

お金をもらった人も、雇った人も、周りの人も。

 

立ち上げる前に考えられたなら。

その形が大切ですよね。

 

 

僕は、友人社長の結婚式の時、

教えが役に立ってます、ありがとうございます。

って言ってくれたこと、

その一言が、本当に救いでした。

通信簿で僕のおかげではないけど、そう育ってくれていた人とやれていたことが

 

お世話になった最初の会社の創業者に会いに言った時も、

「次作るとき言ってくれ、貯めとくから。こうやってご馳走してくれる中になったのが、本当に嬉しいよ。」

とおっしゃっていただいたり。

 

過去のすべてがうまくいってはいないけど、

共に過ごした人を好きって言ってくれる人がいるのが嬉しい

 

正直、ここから関わるものは、いいビジネスって本当に納得できるものをやりたい

 

 

最近ノートに自己分析しまくっていたのですが、

ブログ見たよ、って言われることが多かったので書いてみました

続きは次回。